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だから今あなたに。 数年越しの、ありがとう。 高2の春。新歓ライブやら新入部員勧誘騒動やらが一段落した、とある穏やかな休日。 私は駅前で、しきりに前髪を気にしていた。 デート。 と言ったのは唯先輩。 昨日の帰り2人で寄ったコンビニで、唯先輩は雑誌に載っていたその喫茶店を見つけた。 掲載されているたくさんのケーキやパフェの写真に、唯先輩は勿論大喜びで。 案の定というか何というか、行こうと言い出した。 けれど、時間も遅いし、場所も最寄りの駅から3駅ほどと少し遠い。 今からでは無理だと私が提言すると、唯先輩はちょっとぶーたれた後に言った。 じゃあ、明日行こう。 明日は土曜日で学校も休みだ。特に予定もなかった私が承諾すると、唯先輩は。 じゃあ明日はあずにゃんと2人でお出掛けだね!デートだ! 嬉しそうにそう言っていた。 他に誰も誘わないのか訊いてみると、急だし、明日は2人で行こうよ!なんて。 私はバッグから鏡を取り出し、最終チェックをする。もう何度目かの最終チェック。 まぁ、つまりはというと。 今日は、唯先輩との初デート。なわけである。 今まで、休日などに2人っきりで出掛けるなんてことが、ありそうでなかった私達。 わかっている。唯先輩が使うデートという言葉に、深い意味などない。きっと誰にでも使う。 けれど、それでもやっぱり私は・・・ え?顔が赤いって?いやいや。今日はすっきりとした快晴で気温も例年より高くって、少し暑いだけですよ。 私は鏡を仕舞うと携帯電話を取り出した。 約束の時間は10時。場所は駅前。別に駅前じゃなくてもよかった気がするが、なんでも、 駅前で待ち合わせの方がデートっぽいとのことらしい。 今は約束の15分前。 寝坊するんじゃないかって心配で、先程電話してみたところ、もう家を出たと唯先輩は言っていた。 めずらしいこともあるものだ。 少し感心しつつ、やっぱりちょっと嬉しかった。 それだけ、このお出掛けを楽しみにしてくれているのかなって。 まぁ、唯先輩が楽しみにしているのは、十中八九ケーキとかパフェだろうけど。 もう一度携帯電話で時間を確認する。 そろそろ来るかな? すると。 「あずにゃ~ん!」 聞き慣れた柔らかな声が聞こえた。 ちょっとドキッとする。 声の方を振り返ると、少し遠くで唯先輩が私に手を振っていた。お~い!なんてはしゃいだ様子で。 そんないつもの唯先輩を微笑ましく思いながらも、やはり私は呆れて、小さく溜息をこぼす。 子供ですか。 というか、大声でそのあだ名呼ばないで下さい。恥ずかしいです。 小走りで近づいてくる唯先輩に一応文句を言おうとした私。 けれど。 私は何も言うことができなかった。 驚きに、言葉を発することができなかったのだ。 徐々に近づいてくるその人に、目を見開く。 遠目には気付かなかったが、今私に近づいてくるこの人は・・・。 誰? 私の視線の先には唯先輩。 唯先輩? 一瞬誰かと思った。というか。 誰っ!? 私は激しく動揺する。 いやいやいや、落ち着け。私の事をあずにゃんって呼んでいたし、あの人が唯先輩であることは間違いない。 確かに唯先輩だ。認めよう。 けれど、昨日会った唯先輩とはまるで別人で・・・。 ピンクのワンピースに茶色のレザーブルゾンを羽織って、足元はデニムとブーツ。 ちゃんとお化粧もしているようだ。 なんというか、大人っぽい・・・? 優しい目元も、ほんわかした雰囲気もそのままなのに、どこか違う。 気のせいか、髪も昨日より少し伸びている気がした。 「・・・・・・。」 いや無い!怖い!それ普通に怖いってぇぇ! 「おまたせ~。」 いつの間にかその人は目の前まで来ていた。 固まる私に、こちらの胸中など知ったこっちゃない唯先輩がにっこりと微笑む。 やっぱり、違う。 纏う空気というか、雰囲気というか、いつもよりどこか余裕があって大で。 しかもちゃんとお洒落している。 私はなんだか子供っぽくて、ちょっと恥ずかしいな。 「あれ?あずにゃん今日はツインテールなんだ?」 「はい?」 何を言っているのだろう、この人は。 というか、ただでさえ混乱しているのに、これ以上わけわかんない事言わないでほしい。 私はいつも基本ツインテールではないか。 挨拶をしていないことにも気付かず、私はとりあえず心の中でツッコミを入れた。 「服も、今日はちょっと違うんだね。なんだか昔みたい。可愛い~。」 そう言って唯先輩は抱きついてきた。 ??? 服も、今日はちょっと違う? 正直、今日の服装は、私的にはいつもとなんら変わらない。この服は唯先輩も見たことがあるはずだ。 しかも昔って・・・ 私と唯先輩が会ってからまだ1年くらいなのに、昔って・・・。 もしかして私達の時間の体感速度にものすっごい差異があるとか? 私には1年なのに、唯先輩には5年とか? いや、待て、そんなわけない。 どうやら、私の思考は混迷の一途を辿っているようだった。 おかしい。 なんだこれは。 いつも以上に何を言っているのかわからない。 私は、頬をすり寄せてくる先輩を引き剥がすとガシッと肩を掴んだ。 「唯先輩。一体何なんですか?」 学校の先輩捕まえて、開口一番に何言ってんだ。と自分でも思う。 もっと他に言いようがあるだろうと。 けれど、混乱した今の私の頭ではこれが精一杯らしい。 自分のチョイスに泣けてきた。 「・・・ほえ?」 私の言葉に唯先輩はきょとんとして首を傾げる。 当然の反応だ。 「えっえっ?なに?どうしたのあずにゃん?」 「あ、いえ。」 たじろぐ私。馬鹿な質問をした上にどうしたのって訊かれた。 正直こっちが訊きたい。 「あっもしかして・・・まだ、怒ってる?」 「は?」 怒る?私が怒ってると言ったか?この人は。 確かにいつも怒っている気はするが、“まだ”と言われる程の怒りに心当たりはない。 「あ、いえ。今日はいつもと雰囲気が違うのでびっくりしちゃって・・・。大人っぽいというか・・・。」 すいませんと頭を下げる。 ああもう何なんだろうなこれ。話が噛み合わな過ぎる。 とりあえずさっきの一体何なんですかという失言のフォローはしておくことにした。 「えへへ~そうかな~?」 嬉しそうな唯先輩。 「けど、あずにゃんも今日は雰囲気違うよね!高校の頃みたい!」 え? 私は耳を疑う。 コウコウノコロ? 「私、高校生です、けど・・・?」 「え?何言ってるの?」 唯先輩がおかしい。 「ゆい、せんぱいも、高校生で・・・。」 「私?もぉ~何言ってるのあずにゃ~ん。私達、ぴっちぴちの女子大生じゃ~ん。」 サーっと頭から血の気が引いていくのがわかった。 わけがわからない。 驚きの余り声は出そうにないので、とりあえず心の中で叫んでおくことにした。 えぇ・・・?ええええぇぇぇぇえぇえぇぇーーっっ!!! 駅前のファーストフード店で私は頭を抱えていた。 向かい側には、自分は大学生だと主張する唯先輩。 うむ、とりあえず訊いておきましょうか。 「・・・えーと。カメラ構えた律先輩はどこですか?他の先輩たちは?」 「えっ!?りっちゃん達いるの!?どこどこ!?」 唯先輩は本気で辺りをキョロキョロし出した。 なるほど。どっきり・・・ではないと。 しかし、信じられない。 未来の唯先輩が今私の目の前にいるなんて。 唯先輩の驚愕の発言から1時間。 私は、とうとう唯先輩が本格的に脳に異常をきたしたのだと混乱し、唯先輩は唯先輩で勿論色々と混乱。 様々な主張、論争、検証を経て、以下の事実が判明。現在に至るわけだが・・・。 まず第一に。“ここ”は私の時代。20××年。私達が高校生の時代である。それは新聞や色々なもので確認した。 そして、目の前にいる唯先輩の時代は20△△年。今から4年後らしい。 今日という日付と時間は同じで、曜日と年だけが違う。 つまりこれは、タイムスリップ。 時間、空間を超えて唯先輩がやってきた。んなアホな。 4年後の未来からやってきたのは、今のところ唯先輩の体、衣類、所持品。現在までに確認できているのはそれだけだ。 自分は大学生だと言い張る唯先輩を最初は思い切り胡散臭い目で見ていた私も、先輩の所持品を見て納得せざるを得なくなった。 N女子大の学生証。 たくさんのカード。 4年後日付のごちゃごちゃレシート。 驚いたことに運転免許証。 見た事のない携帯電話。(ちなみに携帯電話は電源が入らなかった。) カードの偽造とかはよくわからないけれど、さすがにそこまで手の込んだ悪戯はしないと思う。 それに、唯先輩の証言にも態度にも嘘の色が見られない。 地味にレシートとかも効いたな。 ごちゃごちゃになって入っているって辺りが唯先輩過ぎてナチュラルだ。1カ月前のレシートとか捨てて下さい。 それでもまだ信じられない自分がいるわけだけれど・・・。 唯先輩自身も、何時、どうやってここに来てしまったのかさっぱりわからないと言う。 気が付いたら4年前の私がいたそうだ。 4年後にタイムマシンでもできたのかと訊いてみると、ないないと笑われた。 じゃあどうしてこんなことに・・・なんて呟くと、どしてだろうね~というお答え。 さっきまでの動揺なんか跡形も無く消し飛んで、唯先輩はいつもの唯先輩に戻っていた。 なんでそんなに落ち着いているのか訊くと、知らない場所じゃないしあずにゃんいるしって。 なんてのん気な。順応性高過ぎです。これぞ唯先輩クオリティ。羨ましくはないですが。 「・・・どう、しましょうか?」 恐る恐る訊いてみる。本当にどうしましょう、だ。 私はいまだ混乱の中で、もうなにがなにやら。 「・・・よし!じゃあデートしよう!」 「は?」 私は思いっきり怪訝な顔をする。 「だって私今日あずにゃんとデートする予定だったんだよ?」 知りませんよそんな事。 それより今はこの状況をどうするかが先決じゃ・・・。 「・・・・・・あっ!!」 私は思わず立ち上がる。 「唯先輩っ!!」 「はひっ!!?」 「や、違くて!唯先輩は!?唯先輩!」 「??・・・ええ~?」 「・・・え~っと。つまり“今”の唯先輩です!今ここにいる唯先輩じゃなくて、過去の唯先輩です!」 ああもうっややこしいっ!! 「20××年の唯先輩はどこですか!20△△年の唯先輩!!」 そういえば私も唯先輩とデートの約束をしていたのだった。 あまりの出来事にすっぽりと抜け落ちていた。 未来の唯先輩がいるのはとりあえず認めてその棚の上にでも置いておくとして、じゃあ過去の唯先輩は? 唯先輩が今ここにいるので失念してしまっていた。 だって、未来の唯先輩とか過去の唯先輩とか、そんなの知るわけないじゃないですか! そもそも最初は、この未来の唯先輩を唯先輩だと思っていたわけだし。 もうっなんで2人もいるんですか!?1人で十分ですよ! 「ん~、わかんない。」 唇に人差し指を当て、唯先輩が可愛く答える。 ですよね~。 「行きましょう、唯先輩。」 私はバッグを掴んだ。 「唯先輩を探します。」 とりあえず待ち合わせの場所に向かいながら、唯先輩に今日の事を掻い摘んで話した。 2人で出掛ける約束をしたこと、電話をしたらもう家を出たと言っていたこと。 唯先輩は聞きながら「ん~」なんて考え事をしていたけど、今は気にしていられない。 もしかしたら先輩を待ちぼうけさせているかもしれないのだ。 でも唯先輩も、約束の場所に着いて私がいなかったら、電話とか・・・。 電話っ!! そうだ!電話してみよう! ほんとに今日はダメダメだ、私。 しかし、唯先輩の電話は通じなかった。 そして、約束の場所にもいなかった。 もしかしたら怒って帰ってしまったのかもしれない。 家の電話に掛けてみると、憂が出た。 『あっ、梓ちゃん?どうしたの?』 「あ、憂。うんあの、唯先輩は・・・。」 『え?お姉ちゃん?今日は梓ちゃんとデートでしょ?』 どうやら家にもいないようだ。 私は唯先輩に小さく首を振り、過去の唯先輩が家にいないことを教えた。 『梓ちゃん?何かあったの?』 「あ、その・・・。」 しまった。考えなしに電話してしまった為、なんと言っていいかわからず私は口籠る。 憂に、あまり変な心配はさせたくない。 しかも、この状況をどうやって説明すればいいのかもわからない。 今電話で説明なんかしたら、私は間違いなく痛い子確定だ。そんな汚名は無論御免こうむりたい。 すると、唯先輩が私から電話を取り上げた。 「あ、憂~?実はね、私さっき携帯落としちゃってさ~。」 唯先輩が話し始める。 「で、壊れたみたいだから今日は使えないかも。うん、明日修理に出すよ。だから連絡とれなくても心配しないで~。もしかしたらその内直るかもしれないし。だから、用事があったらあずにゃんの携帯ね。うん、じゃね~。」 そう言って唯先輩は電話を切った。 「唯先輩!?」 「うん。とりあえず今はこうしておかない?憂にも心配かけたくないし。」 確かにこの状況が一時的なものならそれは賛成だが。 もし、未来の唯先輩が帰れないなんてことになったら・・・? 過去の唯先輩が見つからなかったら・・・? この状態が続くようなら、心配かけたくないなどと言ってはいられない。 それに、過去の唯先輩の行動によっては、私達の言動は憂や周りの人達に疑念を与えてしまう。 いや、まぁ、その時は、ありのままをすべて正直に話せばいいだけなのだが・・・。 って、違くて。そんなことよりも今はまず。 「・・・でも、唯先輩は・・・?」 過去の、この時代の唯先輩は、今どこに? 「もしかしたら、今頃未来であずにゃんとデートしてたりしてね。」 「何のん気なこと言ってんですか!」 私は再び唯先輩捜索を開始した。 考えたくもないが、どこかで事故にあった可能性だってある。 今朝電話で歩いていると言っていた通りを、唯先輩の家までの道を、公園を、お店を探す。 唯先輩にも、唯先輩の行きそうな場所を探してもらった。 なんかシュールだ。 「・・・どうしよう。もしかしたら、何か事件とかに巻き込まれて・・・。」 「それはないよ。」 心配で、不安で、だんだん青ざめていく私の言葉を、唯先輩は軽く一蹴した。 「だって、4年後の私が今こうしてここにいるわけだし。」 「・・・それは、・・・そう、ですけど・・・。」 その理屈は合っているような合っていないような。 そもそも4年後の唯先輩がここにいることがおかしいわけだし。 唯先輩が未来から来たことによって、タイムパラドックスが起きないとも限らない。 起きていない何かが起きて、未来が変わる。 だから、この唯先輩も・・・ 「・・・・・・。」 ?あれ?また何か抜けている。 「あの、唯先輩。」 「ほい?」 「唯先輩は未来から来たんですよね?」 「ええ~?まだ信じてくれてないの~?タイムスリッパとかよくわかんないけど、私の記憶は大学生まであるよ?」 タイムスリップです。重みが一気に急降下するのでそういう間違いやめて下さい。 じゃなくて。 「そう、記憶ですよ!唯先輩が4年後から来たのなら、今日の記憶だってあるはずでしょ!?」 そうだ。この現象が起こるべくして起きたのなら、ここにいる唯先輩も経験しているはずだ。 今、過去の唯先輩がどこにいるのか知っている。 「唯先輩はどこですか!?唯先輩!」 「ええ~っ?4年前の事なんて覚えてないよ~。」 私ガックリ。 意気込んでいただけに凄いガックリ。 「今日って確かあずにゃんとの初デートの日だよね?楽しかった記憶しかないよ?」 つまり、未来の唯先輩は4年前の今日、4年前の私と普通にデートを楽しんだということですね? 過去だとか未来だとか、そんなものには一切関わりなく。 はい。タイムパラドックスきましたよ、これ。 しかし、これで未来が変わってしまうとなると、一体どうなるのだろう。 ここにいる唯先輩も変わってしまうのだろうか。 なにせ、今のこの出来事を唯先輩は過去に経験していないわけだから。 平行世界。パラレルワールド。 俄かには信じ難い話だ。 「ね、あずにゃん。やっぱり過去の私は、未来にいるんじゃないのかな?」 「え?」 私は、その言葉に内心ギクリとする。 私にもその考えがないわけではなかった。 だって、こうも跡形もなく消えた過去の唯先輩の説明がつかない。 私が過去の唯先輩と最後に電話をしたのが9時半頃で、今の唯先輩が現れたのが9時50分頃。 唯先輩は9時半の電話で、あと20分くらいで着くと言っていたから、それはつまり、未来の唯先輩が現れたのとほぼ同時刻だった。 未来の唯先輩が現れてからも、しばらくその場にいたのだから、もし過去の唯先輩が約束の場所に来たのなら、私達に気付いたはずだ。 けれど、唯先輩の姿は見えず、携帯電話も通じない。 あの人通りの多い通りで、事件など起きるだろうか。事故があったのなら、今頃きっと大騒ぎになっているだろうし。 未来の唯先輩の行動も、行動時間も、過去の唯先輩とほぼ同じだという。 この類似性。 同じ月日、同じ時間、同じ行動、ついでに待ち合わせの場所も、待ち合わせしていた人も同じ。 その類似が、タイムスリップの要因と考えられなくもないのか。 あの20分の間に、未来の唯先輩と過去の唯先輩が・・・入れ替わった? 事故とか事件に巻き込まれたよりも、そっちの方が可能性が高い気が・・・。 高いか? タイムスリップという現実離れした現象をいまだに受け入れきれない私がいる。 まぁとにかく、未来の唯先輩がここにいるという事実を踏まえると、無くはないことである。 だけど、この唯先輩が過去にこの事態を経験していないのなら、唯先輩が無事かどうかも当てにならないし。 「よしっ、じゃあ、気を取り直してデートしよっか!」 「はい?」 何言ってんだ、この人は。 「だって、私今日あずにゃんとデートの予定だったんだもん。あずにゃんもでしょ?」 「・・・いや、今それどころじゃないですから。この状況わかってますか?」 「う~ん。わかってるけど、でもどうにもできないし。」 確かにその通りではある。どうしたらいいのかさっぱりだ。 だが、何故そこでデートするという選択肢が生まれるのか分からない。 「や、とにかく誰か他に・・・。えと、先輩方にでも事情を説明して・・・。」 もう私一人の手には負えない。やはりここは他にも誰か・・・。 「過去の私は未来のあずにゃんに任せれば大丈夫だよ。約束の時間も場所も同じだし、きっと会えてる。」 「いや、だから、唯先輩が未来に行ったとは限らないんじゃ・・・。」 「ほら行こ!あずにゃん!」 「えっ!?ちょっ、唯先輩!?」 私の言葉など遮って、唯先輩は力強く私の手を取った。 電車に揺られること20分。 まだぶつぶつと言っている私の手を引いて、唯先輩はあの喫茶店に向かっていた。 今日そこに行く予定だったと私が話したからか、4年前のことを思い出したからか。 途中私は何度も言った。 このままではダメだ、こんなことをしている場合ではないと。 しかし、どうしていいのか見当もつかないのも事実で。 結局は「まぁまぁなるようにしかならないんだし~」なんて、唯先輩に宥められていた。 確かに、過去の唯先輩に関しては、未来にいるのではないかという考えが強くなっている。 だって現に、未来の唯先輩がここにいるのだから。 過去に来られるのなら、未来に行くことだってできる・・・・・・のか? いまだ半信半疑ではあるけれど。 「今日はいいお天気だね~あずにゃん。」 「はぁ、そうですね。」 ほんと、何を考えているんだ、この人は。 自分だって、未来に帰れなくなってしまうかもしれないのに。 駅を出て、その足は迷うことなくあの喫茶店に向かっているようだった。 そこで漠然と思う。 ああ、この人は店の場所をちゃんと知っているのだと。 この人は昨日の唯先輩ではない、4年後の唯先輩なのだと。 なんとなく、納得してしまう。 行ったことがないと言っていた昨日の唯先輩なら、絶対迷子になっていたはずだ。 「あそこのパフェはねぇ、ちっちゃいたい焼きが乗ってるのもあるんだよ?あずにゃんあれ大好きなんだ。」 それは昨日雑誌で見たので私も知っていた。 すごく美味しそうだなって思ったし、今日食べようと決めていた。 しかし、私の知らない私を語る唯先輩。 なんだか変な感じだ。 「あの、唯先輩。」 「ん~?」 「唯先輩はN女子大に行ったんですよね?」 あまり未来のことを聞くのはよくない気がしたけれど、少しくらいならいいだろうか。 「うん、そうだよ~。りっちゃんも澪ちゃんもムギちゃんも、みんな一緒。」 すごいな。あそこ名門なのに。 「あの、・・・私は?」 「ん?もちろんあずにゃんも一緒だよ!」 「本当ですか!?」 嬉しさに、私は思わず唯先輩の手を両手で掴んだ。 「うん、ほんと。」 「じゃあバンドは!?放課後ティータイムは!?」 「もっちろん続けてますとも!5人みんな一緒だよ~。」 わぁ。わぁ。わぁ~。 どうしよう。凄く嬉しい。 困ったところもあるけれど、先輩達と一緒にいるのは楽しくて、演奏するのも楽しくて、ずっと一緒にやっていけたらな~なんて思っていた。 それが、4年後も一緒にいられるなんて。 「ふふ、あずにゃんやっと笑ってくれたね。」 「え?あっ、え~と・・・。」 微笑まれて、ドキッとする。 頬が熱を上げていくのが自分でもわかった。 理由は2つ。 子供のようにはしゃいだ自分が恥ずかしかったから。 それと。 唯先輩の笑った顔が、凄く、綺麗だったから。 いつの間にか止まっていた歩を再び進める。手を繋いで。 私は、少し先を歩く唯先輩の横顔を見つめた。 さっきまではただただ驚いていて、そんな余裕なかったけれど。 これが、4年後の唯先輩。 ほんわかした雰囲気と可愛らしさは変わらない。けれど、どこか落ち着いていて、ちょっと格好良くて、そして、綺麗で。 こんな風に、なるんだ。 思わず見惚れてしまう。 正直、綺麗かわい過ぎて反則です。 私はどうなっているのかな? 少しは背、伸びたかな?あと、胸とかは・・・。 「唯先輩、みんなの写真とかはないんですか?」 「え?ああ、未来の?それが今日はなんも無いんだよ~。携帯は電源つかないし。って、あっついた。」 「へっ!!?」 「・・・・・・。んん~?でもやっぱり電話は通じないや~。メールもダメ~。」 「ちょ、ちょっと見せて下さい!」 人の携帯電話は操作の仕方がよく解らないし、勝手にメールなどを見るのも悪いので、私はとりあえずカレンダーを開いてみた。 すると、そこには今日の日付が示されていて、画面の上の方に20△△年と出ている。 こんなところでも地味にショックを受ける私。 いや、もう信じてます。信じていますとも。でも、どうしても諦めきれない自分がいて・・・。 「えと、写真だっけ?ほら、これ。」 画像とかは見れるみたいだね。そう言って唯先輩は携帯電話の画面を私に向けてくれる。 「わぁ~。」 そこには大学生の私達、放課後ティータイムの5人が写っていた。 勿論、そんな写真を撮った記憶は私にはない。 みんな、大人っぽくなっている。 その写真では、私もツインテールではなく、サイドテールだった。 顔も服装も、今よりどこか大人っぽい感じがして、ちょっとこそばゆい。 胸への希望は儚く消えたが。 「もいっこ。はい。」 そう言って唯先輩が見せてくれたのは、未来の私と唯先輩のツーショットだった。 途端に、またもや顔が熱くなる。 いや、別に普通の写真だけれども! こういうの今までだって撮ったことあるけれども! うううっなんか恥ずかしい・・・。だって顔近いし。 4年後もこんな風に仲良しなんだって思ったら、嬉しいじゃないですか・・・。 「も、、もう結構です!」 「そう?」 唯先輩は今度は1人でぽちぽちと携帯電話を弄り出した。 「私ね、今日のデートすごく楽しみにしてたんだ!あずにゃんとこんな風にお出掛けするの、久し振りだったから!」 「・・・そうですか。」 本当は私には、もうひとつ訊きたい事があった。 でも、訊けない。 それは、あまりにも怖すぎて。 「あ、ここだよあずにゃん!」 「へぇ~。」 私はその建物を見上げる。 二階建ての洋風建築。 なかなかにおしゃれでいい雰囲気である。 内装も洋風で、アンティーク調の家具や小物が置いてある。 そこそこ混んではいたが、待つほどではなく、すぐに席に着くことができた。 注文した物がくると、さっそく頂きます。 「んまぁ~いっ!」 唯先輩は心底幸せそうな顔をする。 ほんと、こういうところは変わらないな。 私も、和風パフェに乗っている一口たい焼きを食べてみる。 うん。美味しい。 「おいしいねぇ、あずにゃん。」 「はいっ。」 「んじゃ、はい。あ~んだよ、あずにゃん。」 「へ!?いや、いいですよ!」 「ほらほら、あ~ん。」 「えっちょっと・・・むぐ!」 「・・・おいしい?」 「いや、おいひい、でふけど・・・。」 「じゃ、そっちも一口ちょーだい。」 「え?いや。いやいやいや、なんで口開けて待ってるんですか。私がそんな事できるわけ・・・」 「あ~ん。」 「・・・・・・。」 結局あーんされたりさせられたり。 確かに唯先輩のチョコバナナパフェも美味しかったですけど、恥ずかしいです。 何故だろう。過去の唯先輩よりも未来の唯先輩の方が抗い難い。 すっかりパフェも食べ終えて、私達はのんびり紅茶を楽しんでいた。 いや、本当はのんびりしてる場合じゃないんだけれども。 今の時刻は16時を少し回ったところ。 窓の外の木々は瑞々しく、かさかさと風に揺れている。 まぁとりあえず、唯先輩の言う通り右往左往しても始まらない。 落ち着いてこの唯先輩を未来に帰す方法を考えなければ。 あと、過去の唯先輩を取り戻す方法を。 「・・・・・・。」 落ち着いたところでそんなもの思いつくはずなかった。 未来から来た唯先輩を未来に帰す方法という途方もない事を、本気で考えようとしていた自分にちょっと泣きたくなる。 タイムマシンと書かれた謎の物体が一瞬過ぎったこの頭にも。あるか、そんなもの。 類似性が要因で入れ替わったという方向でなら考えられなくもないが、同じ状況を再現すれば元に戻るのではという仮説にしろ、結局は未来にいる過去の唯先輩の行動などさっぱり読めないので、お手上げである。 い、いや、とにかく、これからの事だ。 ずっとこのままかもしれないし、明日には元に戻っているかもしれない。 もしこのままだったとしたらどうする?みんなに話す? まぁ、話した方がいいだろう。きっとみんな力を貸してくれる。 でも、過去の唯先輩は? 未来に行っているにしろ、そうで無いにしろ、心配でたまらない。 ふと気付くと、唯先輩がにこにこと私を見つめていた。 「なんですか?」 「いや~。やっぱり昔のあずにゃんは可愛いな~なんて思って。」 「か、からかわないで下さい!」 私は赤くなった頬を隠すため俯く。 今の私を支えているのは、多分目の前の唯先輩だ。 大丈夫。大丈夫。 今未来の唯先輩がこうして笑ってくれているのだ。きっと大丈夫。 悪い考えばかり浮かんで、どうしようもなく不安だけれど、今あなたの笑顔が目の前にあるのも事実で。 だから、大丈夫。 私は無意識に、きゅっと両手に力を込めた。 「・・・・・・あの、何ですか?」 気が付くと、唯先輩が携帯電話を取り出し、私の顔の横に並べていた。 画面は唯先輩向き。 何なのかな。相変わらず訳の分からない人だ。 「う~ん。未来のあずにゃんと過去のあずにゃん、どっちが可愛いのかなって思って。」 どうやら見比べているらしい。 「う~む。どっちも捨て難い!」 「はぁ・・・。」 そういう唯先輩の方が断然可愛いです。とは、口が裂けても言えない。 また携帯電話を弄り出す唯先輩を私は眺める。 本当に、可愛くて綺麗な人だと思う。 しゃべるとちょっと、おbゲフンゲフンッなところはあるが。 昔から整った顔立ちはしていたけれど、なんというか、垢抜けた感じだ。 きっと、男の人も放っておかないだろう。 モテモテだったりするのかな? いや、もしかしたらもう・・・。 胸が、軋んだ。 最初は唯先輩のギターを聴いて憧れた。 軽音部に入って、そのだらけっぷりとやる気の無さにがっかりした。 でも、本当は頑張り屋で、いつだって明るくてみんなに元気をくれて、優しく温かい。 そんなあなたに、私は・・・。 訊きたくても、訊けなかったこと。 いや、きっと聞きたくなんかなかったこと。 でも、知りたい気持ちが勝ってしまった。 「唯先輩。」 「なに~?あずにゃん。」 「・・・未来の私は、彼氏とか、いたりするんですかね?」 「ん?・・・いるよ。付き合ってる人。」 「そう、ですか。」 「んもうすっご~いらぶらぶでね、いっつも皆にからかわれてるよ~。顔を真っ赤にするあずにゃん可愛いんだ~。」 「唯先輩は?」 「ほえ?」 「唯先輩には、そんな人がいますか?」 「いるよ。」 「世界で一番、あいしてるひと。」 その2へ
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「それじゃ、お先~」 比呂美がかばんを手に朋与に声をかける。 「あ、比呂美、どこか寄ってかない?」 「あ……ごめん、今日踊りの稽古があるの。だからちょっと」 「あ、そうか。いいよいいよ、気にしないで」 朋与が自分が悪かった、というように手を振る。そして自分の席でまだ帰り支度をしている眞一郎に向かって、 「ほら、早くしないと先行くわよ」 と、まるで自分が待たされているかのように言った。 今年も麦端祭の季節が近づいてきた。祭のハイライトは言うまでもなく青年部有志による踊りだが、今年はもう一つ「目玉」があった。 三年に一度、女子有志による女踊りが併せて行われ、今年はその女踊りの年に当たるのである。 そして、その女踊りの花形として比呂美が選ばれたのである。 「しかしよく引き受けたわね、比呂美。バスケで十分身体動かしてその上女踊りだなんて。断れなかったの?」 「おばさんからも心配されたけど、稽古のスケジュールもかなり私に合わせてもらってるし、それは大丈夫」 「仲上君と一緒なら疲れなんて感じないし?」 「うん」 比呂美の即答に朋与が思わず苦笑する。 「それに、部活の方も私はキャプテンを信頼してますから」 「おう、任とけ」 朋与がぐいっ、と胸を反らす。二人は同時に吹き出した。 「楽しみだなあ。去年の仲上君、凄く格好よかったもん。今年はもっと格好よくなるんじゃない?」 あさみが眞一郎に話しかける。虎の尾を踏むに等しい行為だが、本人に自覚はない。 「そんな、格好いいなんて・・・・」 照れ隠しか、頭を掻きながらもまんざらでもなさそうな眞一郎。目の前からどす黒いオーラの発生を確認した朋与が機転を利かせる。 「ホント楽しみよねえ。もしかして麦端祭の歴史でも夫婦で花形なんて初なんじゃない?」 暗黒が霧散する。 「朋与、馬鹿なこと言わないの」 「そ、そうだよ黒部さん。夫婦なんてまだ――」 「まだ?」 「まだ?」 朋与とあさみが同時に反応し、教室に残っていた生徒がざわめく。眞一郎は更に顔を赤くするが、今更遅い。 「あ、いや、これは……」 「これは?」 「つまり……えーと…………」 眞一郎は横目で比呂美を見る。恥ずかしそうに俯いているが、何と言うか聞き耳を立てて いるのはすぐにわかった。 (すまん、比呂美。後でフォローする) 「……まだそんな間柄じゃないよ」 視界の隅で比呂美が小さく肩を落とす姿が見えた気がした。 「なーんだ、つまんない答え」 あさみが不満の声を上げる。眞一郎を格好いいと公言しているが、別に恋愛感情は存在しないのだ。 「じゃ、いつかそんな間柄になるのかな~、ん?」 朋与がなおも追求するが、気のせいか目に殺気が込められているような気がした。眞一郎は早々に退散すべきと判断した。 「お待たせ、さ、行こう、比呂美」 女踊りの稽古を終えた比呂美が眞一郎の様子を見に行くと、まだ眞一郎は稽古をしていた。差し入れを持って来ていた愛子の隣に座り、稽古を見守る事にする。 「はい、比呂美ちゃん、お疲れ様」 愛子がお茶を淹れて差し出す。 「ありがとう。いただきます」 比呂美はお茶を受け取って一口。稽古後の渇いたのどには丁度いい、適度に温めのお茶である。 「お稽古、どう?」 愛子が比呂美に訊ねる。 「んー、最初は少し大変だったけど、もう今は平気よ。身体の今まで使わなかった部分を使うから、体幹がしっかりしてくるの」 「ふーん」 普段からほとんどの部分を使わない愛子には、感覚的に理解する事が出来ない。 「それに、こうして眞一郎くんの稽古を見てられるのも嬉しいし」 「そうか、比呂美ちゃん、去年は来なかったもんね」 その代わり、去年は石動乃絵が来ていた。愛子はそれを思い出したが、比呂美がその事を知っているかが不明だったので、何も言わなかった。その代わり、もっと当たり障りのない話題にした。 「それで、ご感想は?」 「とても一所懸命にやってる。眞一郎くんの真剣な顔、大好き」 好きという言葉が自然に出てくる。 「……そっか」 愛子もそれだけを言って稽古を見つめる。愛子の目から見ても、眞一郎は去年とは段違いに真剣だった。 去年感じられたやらされている感は完全に消失し、一挙一動にキレがある。目にも迷いはなく、去年の祭り当日の集中力、緊張感を今年は稽古から維持しているようだった。 「ねえ、比呂美ちゃん」 愛子は再び比呂美に話しかける。 「はい?」 「どうして女踊り、引き受ける気になったの?断ることも出来たでしょ?」 町内会で女踊りの人選が議題に上り、比呂美の名前が挙げられた時、出席していた理恵子は難色を示したと、父親から聞いていた。体育会系の部活で、しかも副主将を務める比呂美に、踊りの稽古は体力的にもスケジュールの面でも厳しいというのが理由だった。結局、稽古日をバスケ部の活動日と重ねないよう調整する事で妥結したのだが、理恵子の言う通り、部活を理由にすれば断る事は難しくなかったはずなのである。 「おばさんの顔を立てたの?」 「ううん、そういうんじゃないの。ただ――」 比呂美は再び眞一郎に視線を戻す。 「私も、同じ世界を視れるんじゃないかと思ったの」 「同じ……世界?」 「うん……上手く言えないんだけど、眞一郎くんの視ているもの、視えているものが、少しでもわかるかな、と思ったの」 比呂美の言葉は非常に抽象的、観念的だった。それでも、愛子には、比呂美の想いがわかる気がした。 「……それで、視えそう?」 愛子の問いに比呂美は静かに首を振る。 「まだわかんない。でも、麦端祭が終わるまでに、ほんの少しでも視えたらいいなと思う」 「…………そうなると、いいね」 「うん」 それ以上は何も言わず、二人は稽古を見つめていた。 「乃絵、明日の麦端祭、一緒しない?」 日登美が言った。 麦端祭は一年のクライマックスであり、都会に比べれば娯楽に乏しい市民にとって、老若を問わぬイベントである。乃絵は土着の人間ではないが、既に二年以上麦端に住んで祭の事も知っており、当然明日も祭りに繰り出すと日登美は思っていたのだが、乃絵はこの誘いを聞くと困ったような表情になり、 「ごめん、私、行かないかもしれない」 と答えた。 日登美と桜子は顔を見合わせると、 「どこか悪いの?」 乃絵は首を振って 「ううん、そういうわけじゃないんだけど」 「人ごみが嫌?」 「そんな事ない」 「じゃあ――」 「日登美」 桜子が日登美の袖を引っ張る。桜子を見た日登美は桜子の表情を見て、何かを気付いたようだった。 「あ……それじゃ、乃絵、気が向いたら携帯にかけて。すぐ迎えに行くから」 「うん。ありがと」 日登美と桜子が去った後、乃絵はため息を吐いた。彼女らしくもない事である。 桜子が気付き、日登美が察した事情は、半分だけ正解である。二人は、乃絵の前で口に出す事こそなかったが、噂程度には眞一郎と乃絵、比呂美の間に起きた事を聞いていた。 今年はその二人が共に花形として舞台に上がる。乃絵の中ではとっくに整理のついた想い出の一つに過ぎないが、それでもそれを観た時、自分がどうなるか予想がつかなかった。 そして、二人が知らない話。一年前の麦端祭の夜。乃絵は、敬愛する兄の秘めた想いと苦悩を知った。乃絵はその日、自分が見ていると思っていたものが実は何も視えていなかった事、理解っていると思っていたことが実は単なる独りよがりな思い込みに過ぎなかった事、そのために大勢の人を傷つけていた事を思い知らされたのだった。 「こうして考えると、何もいい事なかったのよね」 呟いて、思わず自嘲の笑みが漏れる。一年前には自分が自嘲の笑みなど浮かべるとは思ってもみなかったし、あの日の事を想いだしてどんな形であれ笑う事が出来るなど半年前には想像も出来なかった。 やっぱりやめよう。わざわざ二人の前に姿を見せて、また湯浅比呂美の心を乱したくない。それを心配する眞一郎も見たくない。 乃絵が鶏小屋に行くと、三代吉が地べたを眺めていた。 そのまま近づくと、三代吉が気付いて振り返る。 「おう、邪魔してるぜ」 「いいわよ、別に私の家でもないし」 そのまま三代吉の隣に行くと、しゃがみこんで地べたにグミの実を差し出す。 「まだ食わせてたのか、それ?」 三代吉が訊いた。興味を惹いたというより、間が持たないから話しかけたという感じだ。 「うん、もう地べたに飛んで欲しいと思ってるわけじゃないけど」 乃絵と三代吉はそれほど親しいわけではない。むしろ疎遠と言ってもいい。だが何故か、乃絵はこの男を無条件に信用していた。自他共に認める眞一郎の親友に対し、眞一郎の面影を見ているのかもしれない。 「……また」 「ん?」 「屋台、出るの?」 訊いてから後悔した。さっきの日登美の誘いが頭に残ってたかもしれない。 「…………出ねえ。多分」 「何故?」 「色々あんだよ」 三代吉は詳しい説明をするつもりはないようだった。その代わり、流れ上当然の質問を返してきた。 「あんたは見に来るのか?」 「……わかんない。行かないと思う」 「そっか」 それきりまた黙る。 「理由を訊かないの?」 「なんとなくわかる」 確かにそうだろう。 「――まだ気持ちが残ってるわけじゃないの」 一人で話し始める。 「でも去年、私を見て、湯浅比呂美は泣いたの。もう邪魔しないでって。学校では顔を合せてももう平気だけど、あそこで逢ったら違うかもしれない。そんな事で不安にさせたくないし、私も気も遣いたくないし」 自分の言葉が適切に心情を表していない事が不満だった。しかし、他に言葉が思い浮かばない。 三代吉は黙ったまま餌を食べる地べたを見つめていた。暫くして、ようやく口を開いた。 「去年とはもう違うだろ」 「それは、そうだけど」 「湯浅だけじゃない、あんたもさ」 初めて、乃絵が三代吉の方を向いた。 「私?」 「こいつが飛べなくてもいいと思えるようになったんだろ」 三代吉は地べたから目を離さない。 「眞一郎も、湯浅も、あんたも去年と違う。なら、去年と同じ事は起こるわけないだろう。そう思わない?」 乃絵は答えない。つまり、否定する材料がないという事である。 「始まった場所に戻るのは、自分の成長を計るには一番いい、とこの前人から聞いた」 「……一番いいところで他人の受け売り?」 「これ以上気の利いた事言えるほど長生きしてねえよ」 三代吉は面白くもなさそうに言い返した。 「……邪魔したな。帰るわ」 三代吉はそれだけ言った。柄にもない事を言って居心地が悪くなったように見えた。 「うん」 乃絵もそれしか言わなかった。 「もうすぐ出番ね」 部屋に入ってきた比呂美が言った。着ている白と黒のシンプルな着物は女踊りのための衣装だ。 「ああ」 比呂美は眞一郎の隣に座り、彼の手に手甲を着けてあげる。去年と同じ行動、一種儀式めいた行いだ。 「似合ってるよ、比呂美」 去年との違いは、眞一郎に比呂美の着物姿を褒める余裕がある事か。比呂美はわずかに頬を染めた。 「先に出てるから見ていてくれ。今年は、お前のために踊るから」 「うん、そうしたら、その後は」 「ああ、お前の踊り、一番前で見るよ」 「……うん」 手甲を付け終わると、比呂美は刀を手に取り、眞一郎に手渡す。眞一郎は立ち上がると刀を受け取り、腰に差す。 「行ってくるよ」 「行ってらっしゃい」 眞一郎は部屋を出ようとして、思い直したように振り返った。 「比呂美」 「え?」 比呂美が顔を上げると、眞一郎が包み込むように抱きしめてきた。 「大丈夫か?」 眞一郎が訊く。 「――うん、少し、落ち着いた」 比呂美の手が眞一郎の背中に回る。 「でも、もう少しだけ、勇気を分けて欲しい……かな?」 眞一郎は少しだけ驚いた顔貌を見せたが、すぐに優しい微笑を浮かべると、比呂美に唇を重ねた。 「――勇気、出た?」 「――うん、たくさん」 比呂美の微笑に見送られ、眞一郎は部屋を出た。 乃絵は祭りに来ていた。 三代吉の言葉に思うところがあったわけではない。 ただ、観てみたくなった。 一年経った眞一郎の踊りを。そして、眞一郎と共に歩み始めた比呂美の今を。 「やっぱりもう少し前に……」 比呂美と顔を会わせる事を避けるため、眞一郎の踊りは観衆の後ろから観ていた。しかし、遠くからでは、背も高くない乃絵にはあまりにも見え辛かった。せめて、比呂美の踊りはもっとよく見える位置で観たい。 この混雑の中、前進するのは簡単ではなかった。もみくちゃになりながら何とか最前列に出た時、もう女踊りは始まっていた。 比呂美は花形として、舞台中央で踊っていた。光と陰をモチーフとした振袖に、男踊りと同様笠を手に舞う姿は、乃絵の目にも美しかった。 比呂美は踊りが進むに連れて、この一年の記憶が駆け抜けていった。不安に押し潰されそうになった去年の麦端祭、その後の眞一郎からの告白、交際――それから今までの間にも全く不安がなかったわけではない。今でも眞一郎の全てが理解できるわけではない。この花形を引き受けたのも少しでも眞一郎に近づきたいと思っての事だった。 実際に舞ってみて、比呂美は自分の心の一部が眞一郎と繋がった気がした。眞一郎の視ていた世界の一端を、確かに視たと確信した。少なくとも一歩、眞一郎に近づいていた。 去年の眞一郎がそうだったように、踊っている比呂美の瞳には、たった一人の姿が映されていた。それに気付いた乃絵が会場を見渡すと、衣装のままの眞一郎の横顔を見つけた。 眞一郎を映す比呂美の瞳。 比呂美だけを見つめる眞一郎の瞳。 これほどの会場、これだけの観衆の中で、二人は二人だけが共有する世界にいた。 それは、乃絵にはおそらく視る事が出来ない世界だった。 「…………素敵よ、二人とも」 乃絵は呟く。眞一郎は間違いなく飛び立つための場所を得、比呂美は眞一郎の道標として大地から見守っていた。それは乃絵があの絵本を読んで以来、心の隅で望んでいた風景だった。 冬の夜空を背景に、比呂美は踊る。強く、気高く。 了 ノート 流石堂さんのブログのイラストからインスピレーションを得て書いた話です。流さんの繊細な絵の魅力を表現するにはあまりにも力不足ですが、精一杯頑張ってみました。 あのイラストを見たときに感じたのは、舞う比呂美とそれを見つめる眞一郎、二人の瞳にはお互いの姿だけが映されていて、その二人を見守るもう一つの視点が欲しいと思い、前年の麦端祭の一方の主役、乃絵を出してみました。結果として乃絵の物語のようになってしまいましたが(汗) 現実的にはバスケ部の比呂美に踊りに出ろというのは少し酷な話なので、周りが推薦しても比呂志も理恵子も本人には勧めないと思います。比呂美の側に自分から花形を務めたいという強い動機が必要だと思ったので、その辺はフォローしています。どちらかというと乃絵を祭りに引っ張り出す方に苦労したかな?乃絵にとってはつらい想い出の多い日なので。 三代吉が愛子の屋台を手伝わないと言ってるのは、キャプテンと愛子と修羅場真っ最中の頃だから。この辺は少しづつ書いていきます。
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~あなたは誰?~ 日時:2013年5月19日(日)、21 00~ プレイヤー:びっち、沙希、Sely、t.k、莢、三ツ矢、葉鐘、衣音 シナリオタイプ:探索セッション(ホラー) シナリオ製作:リラ様 シナリオ製作協力:なし メイン登場キャラ:フロスト、未來、澪、化川、サクラ、レイハ、玲緒、昴
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あなたの人生の物語 登場人物 コメント テッド・チャンによるSF短編小説。2000年のネビュラ賞中長編小説部門及び1999年のスタージョン賞を受賞した。 また、それを表題作とする2002年の短編集("Story of Your Life and Others")。 日本では『メッセージ』のタイトルで2017年5月19日に公開された。 登場人物 フーディン:ルイーズ・バンクス コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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あわてて救急車を呼んで広尾病院に連れて行ったけど、そのときはもう心臓は止まってた。 兄弟たちに連絡を取ったけど、暮れの世の中が一番わくわくしているときで、なかなか連絡が取れなかった。助細動装置をとりたいんだけど承認して!・・・と電話口で騒ぐんだけど意味がわかってもらえなかったみたい。 実は、救急隊の一人が高度医療を受けますか?と聞かれたときに、夫が”はい”と答えたのが、この結果につながっている。義母にはかわいそうなことをしてしまった。 最近は虐待死が多かったため、病院で死んだとき以外は解剖があります。日を改めて、東京都監察医務院による解剖と、当日の調書を書くための取調べがあり調書となりました。 暮れに葬儀を行い、年が明けて病院にクレームを入れました。なぜ、診察してもらえなかったのかと・・・。裁判になったらと考えていたのかもしれませんが、何も答えてもらえませんでした。最近は、病気は見られるけど、人はわからない医者が多いのかもしれません。 お医者さんなら、何でもわかってもらえると思った私がまずかったのかもしれません。また、今まで母の件では何でもわかってもらえたお医者さんとお付き合いしてきて、お医者さんに絶対の信頼を置いていた私がばかだったのでしょう。 病院での話し会いの最後に、お医者さんに”あなたも私も加害者なんですからね、それは一生忘れないでくださいね。”と、お願いして帰りました。女の医者でした。
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ここは東京、秋葉原の電気街。 道行く人並みの中に混じって、大量の紙袋を手に提げる宮河ひなたは今日も御機嫌だった。 「うぅ~ん、この雰囲気。いつ来ても素敵だわぁ」 馴染みの風景を見ながら、うっとりとした表情で呟くひなた。 この街特有の、アニメやらゲームやらの看板が掲げられている風景がひなたは好きだった。 どうして好きなのか、などとはひなたは考えない。そんなことはどうでも良いのだ。 好きになったから好きなのであって、そこには理屈の介在する余地など存在しない。 「今日もいっぱいお買い物しちゃったわ。…ひかげちゃんに見られたら、また怒られちゃうかもしれないわねぇ」 自分の提げる大量の荷物に目をやって、ひなたは少しだけ申し訳無さそうな表情を浮かべる。 ひなた自身は一生懸命働いているつもりなのだが、しかしひなたのこうした趣味によって彼女の家計が圧迫されているのも確かだ。 その皺寄せを一身に受けているひなたの妹ひかげなどは、事ある毎に姉の趣味を自粛するように主張してはいるのだが、しかしそれでも ひなたは自らの趣味嗜好を改めるつもりは無かった。 人はパンのみに生きるにあらず。 ひなたにとって、今手に抱えている大量のアニメグッズの類は自らの人生を実り豊かな物にする為に、言うなれば心のおやつなのだ。 それを思えば、少しぐらいの生活苦や今自分の体に掛かっている物理的な重量など何する物だろうか。 ひかげちゃんには悪いけれど、これはお姉ちゃんにとっての生活必需品。 だからどうか、大目に見て頂戴ね――と、そんなことを心の中で考えていた時だった。 「きゃうっ!!」 果たして、自分の趣味に妹を巻き込んでおきながら、反省の色一つ見せないひなたに罰が当たったのだろうか。 大量の荷物を抱えたまま、秋葉原の街角でひなたは見事なまでの大転倒を演じてしまう。 「痛ったぁ~い…」 呻き声を挙げつつ、ひなたは慌てて上体を起き上がらせた。 見れば、先程転んだ拍子に紙袋の中から飛び落ちた大量のアニメグッズが地面にぶち撒けられている。 その殆どが包装されたままの、買ったばかりのぴかぴかの新品ばかりだった。 「た、大変っ!」 普段は寧ろのんびりした性格のひなただが、趣味が絡んでいるとなれば話は別だ。 えらく俊敏な動作で、地面に散らばったグッズを次々に紙袋の中へと戻して行く。 しかし、それでもひなたがグッズ類を全部回収するまでには、まだまだ時間が掛かりそうだった。 それもそうだろう。数々のアルバイトによってまともに一ヶ月間過ごせるだけの生活費を稼いでおきながら、それでもなお宮河家が塩粥 を食らう生活を送っているのは、一重にひなたの浪費癖が原因なのだ。 当然、ひなたがそれだけ散財すれば、その金額の分だけグッズの数も比例して増加する。 依然として地面に散らばる大量のグッズを前にして、ひなたは悪戦苦闘しながらも必死になって地面に手を伸ばして行く。 「――大丈夫か?」 「え?」 突然に頭上から声を掛けられて、ひなたは思わず手を止めて顔を見上げる。 声の主はひなたよりも幾つか年下であろう、高校生ぐらいの少年だった。 自転車を脇に置いたその少年は、ひなたの身を案じるようにこちらを見下ろしている。 「あんた、さっき思い切り転んでいただろう。大丈夫か?」 「あ。ええ、はい、大丈夫ですぅ」 黒髪に燃えるような赤い瞳をしたその少年の問い掛けに、ひなたはいつも通りの間延びした口調で応える。 自分は本当に大丈夫なのだ。大丈夫では無いのは、今のこの状況。 大切なアニメグッズ達が地面に散らばったままという事態こそが、ひなたにとっては大問題だった。 「拾うの手伝うよ。これ、あんたには大事な物なんだろう?」 「え、でもぉ」 「気にすんな。一人で集めるにはちょっと多いだろうしな」 そう言いながら、あまりこの秋葉原の雰囲気と馴染まないような様子のあるその少年は身を屈めて、黙々とひなたがぶち撒けたグッズを 拾い集める。 一瞬、ぼーっとしたままその少年の顔を見ていたひなただったが、彼の行動を見て我に返り、再びグッズの回収に立ち戻る。 数分後、無事に全てのグッズを回収し終えたひなたは、その少年に向かってありがとうございます、と言って頭を下げた。 「本当に気にしなくていいさ。ま、次からはちゃんと注意すればいいことだしな」 「はい、あなたの仰る通りですねぇ。もっと気をつけないとぉ……痛っ!」 少年に会釈して、そのまま立ち去ろうとしたひなただったが、突然に足の痛みを覚えて顔を顰める。 腕にはしっかりと力を込めたので、今度は紙袋を取り落としたりはしなかったのだが。 「ん…?もしかしてあんた、さっき転んだ時に…」 「ええ…どうやらひねってしまったみたいですねぇ…でも大丈夫ですよぅ。気を付けて歩けばこのくらい…うぅっ!」 言い掛けた所で、再び足に走った激痛にひなたは思わず泣きそうな声を出した。 普段ならば何とか耐えられたかもしれないが、散々この秋葉原を散策して歩き疲れた上に、あれこれと荷物を抱えている今の状態では、 正直やせ我慢をするにも限度がある。 今日はもう、すぐに帰らなきゃとゆっくり踵を返そうとするひなたを見て、目の前の少年は何かを考え込むような仕草を見せた後、ぽつ りと呟いた。 「……なあ。あんた、家は何処なんだ?」 「えっ?」 「いや、あんたが何処に住んでるのか聞きたくてさ。もし良ければ、教えてくれないかな」 「はあ」 少年の意図がわからぬままに、それでもひなたは彼の問い掛けに素直に答えた。 もし妹のひかげがこの場にいたら、見ず知らずの男から掛けられた言葉になど耳を貸すなと激怒したことだろう。 ひなたから大雑把な住所を聞いた問題の少年は、やがて納得したように首を縦に振り、そしてひなたが思いも寄らぬ言葉を口にした。 「……よし。だったら、俺が家まであんたを送ってやるよ」 「え?えぇっ?」 「埼玉のその辺なら俺にとっても帰り道だからな。その足にその荷物じゃあ電車に乗って帰るのは辛いだろう。と言っても、自転車だから 乗り心地はあんま良くないだろうけど…」 「はあ。ですけど、そのぅ…埼玉ですよ?」 「わかってるよ」 「遠いですよぉ?」 「いつものことだし」 「いつもなんですか?」 「つーか今日もソレ。埼玉からここまで、俺に無理矢理自転車で運ばせた連れが『今日はイベントに参加するから先に帰ってていいよ~』 とか言い出したから、今日の後部座席はフリーなんだ。 まったくこなたの奴め、人をタクシードライバーか何かと勘違いしやがって…」 「わあ」 あまりと言えばあんまりな少年の言葉に、ひなたは呆れるよりも先に感心したような声を挙げる。 自転車で埼玉から秋葉原まで来られるなんて、なんて素晴らしいんだろう。 ひなたとて、見ず知らずの男性から誘いを受けているという状況に警戒を覚えなくも無いのだが、帰りの電車賃を払わなくて済むという 誘惑には抗し難い魅力を感じていた。 少し近寄り難い雰囲気ではあるが、そんなに悪い人間にも見えなかった。 さっきは散らばったアニメグッズを拾ってくれたし、自分のことを心配してくれているようだし。 それに、とひなたは思う。この少年とは以前どこかで出会ったことがあるような気がする。 面識は無い筈だし、はっきりと言葉には出せない物の、何処か親しみのような感情すら覚える。 そう感じる理由が何なのかまでは、生憎とひなたにはわからなかったが。 「じゃあ、お願いしても良いでしょうかぁ?」 「ああ。それじゃあ、後ろの座席に座ってくれ。あんたの荷物は前の籠に入れておくから」 「はいっ、ありがとうございます」 手に提げた荷物を少年に渡し、ひなたは自転車の後部座席に座る。 少し狭い気もするが我慢出来ない程では無いし、何よりこの自転車に乗せて貰う立場である以上、文句を言うなどとんでも無かった。 お店に対する文句やクレームは必要最低限。 まがりなりにも接客業を中心にアルバイトをこなしているひなたには、そうしたクレームが相手にも大きな負担や手間になることを良く 知っているのだ。 「しかしこの荷物、随分多いな…でもまあ、何とか全部籠に乗るかな……よっ、これでよし、と。 んじゃ、出発するぞー。結構スピード出すから、ちゃんと気を付けてくれよー」 「はぁーい」 そして、後ろにひなたを乗せた自転車は猛スピードで秋葉原の街中を駆け抜け、そして去って行く。 その光景を見た人間の中には、ああ、またあの暴走自転車が現れたのか…と頷く者もいたとか。 「……到着ーっ!!」 秋葉原から埼玉まで、ただひたすらに自転車のペダルを漕ぎ続けた少年は、勝ち誇ったような叫びを上げながら爆走する自転車の動きを 止めた。 時間にしておよそ一時間と十数分。目的地までの距離と移動手段を考えれば、驚異的なスピードだった。 「ふぅ、いい汗を掻いたぜ。確かこの辺りでいいんだよな?」 「はい。どうもありがとうございますぅ」 籠の中に詰まったひなたの荷物を降ろす為に、一旦自転車から降り出した少年に続いて、ひなたも後部座席から自分の体を引っ張り出す 。 「……痛っ!」 先程ひねってしまった方の足を地に付けた瞬間、鋭い痛みが走る。 それによって、ひなたはバランスを崩してしまい、目の前の少年の方へと倒れ込んでしまう。 「きゃ――」 「危ない!」 再びひなたが転びそうになった途端、咄嗟に少年が手を伸ばしてひなたの体を支えようとする。 その少年の機転によって転倒こそ避けられた物の、ひなたは何やら自分の胸にいつもと違う異物感を覚えていた。 「あらぁ…?」 「ん?」 少年とひなた、二人が揃ってひなたの胸に視線を送る。 倒れ込みそうになったひなたの体を支える為に伸ばされた少年の手。 それが結果的に、今はひなたの胸を半ば鷲掴みにするかのような形になってしまっていた。 「って、どわああぁぁぁ!!」 ひなたが何かを言うよりも先に、大袈裟な悲鳴を上げてひなたから離れる少年の姿を、ひなた自身はまるで他人事のように目を瞬かせて 見ていた。 「す、すまん!ごめん、悪かった!決してわざとじゃないんだ!」 「はあ。でも、また転んじゃいそうだった私を助けてくれたんですしぃ…別に私は気にしな――」 「気にするわよ!ものすんごぉーくっ!!」 ひたすらに頭を下げる少年に向かって口を開き掛けた瞬間、ひなた達の後ろから別の声が飛んで来た。 二人がその声の主に視線を送ると、怒りに肩を震わせた小学生ぐらいの少女が二人を――正確にはひなたをここまで送ってきた少年の顔 を睨み付けていた。 本来なら長いはずの髪を短く束ねたその少女の容貌は、どこかひなたに良く似ていた。 「あら、ひかげちゃん。ただいまで、おかえりなさい」 「お姉ちゃん、その人は誰!?お姉ちゃんと一体どーゆー関係なの!?」 「どういう関係って…」 ひなたの挨拶を完全に無視して、彼女の妹である少女、宮河ひかげが鬼気迫る表情で姉へと詰め寄る。 暫くの間、ひかげと少年の顔を見比べた後、やがてひなたはぽつりと呟く。 「……どういう関係なのかしらねぇ?」 「お・ね・え・ちゃんっ!!」 「あ。でもねひかげちゃん、この人は困ってるお姉ちゃんを助けてくれたのよ。こうしてわざわざ家まで送ってくれたし」 「私が言いたいのはそこだよ!どうして何も関係の無い男の人に、お姉ちゃんが家まで送り届けて貰わなくちゃいけないの!? お姉ちゃんに何か悪いことをしようとか考えてる人だったらどうするつもりなのよ!?」 「ひかげちゃん…」 一頻り姉に対して叱責の言葉を投げ掛けたひかげは、今度は自転車の側でずっと姉妹二人のやりとりを窺っていた少年へとその視線を移 す。 「あなた。お姉ちゃんの一体何なんですか?」 「俺か?いや俺は、ただ君のお姉さんが困ってる所に通りすがっただけで…」 「ただ通りすがっただけの人が、なんでお姉ちゃんのおっぱいを揉んだりするんですか!? お姉ちゃんにひどいことをするつもりなら、私が許さない! もう帰って!もうこれ以上、お姉ちゃんの側に近寄らないでよっ、この変質者っ!!」 「ひかげちゃん…!」 湧き上がる怒りの感情を隠そうともせずに少年へと食って掛かるひかげを諭すべく、ひなたが口を開き掛けた、まさにその時だった。 「――ごめん」 ひかげと、そしてその脇に立つひなたに向かって、少年は深く頭を下げた。 「本当にごめん。俺が君のお姉さんに失礼なことをしちまったのは本当だもんな。だから…ごめん」 「な…!なによ!そんな風に謝ってみせて、それで許して貰おうなんて、虫が良すぎるわ!」 「ああ。許して貰わなくていい。事実、俺は今こうして君のことを傷付けちまったんだもんな… こんなにも君に、お姉さんのことを心配させてしまったんだから、俺は君に許してくれとは言えない。 だけど、その代わりに一つだけ、君にお願いしたいことがあるんだ。いいかな?」 「う……な、何よ!?」 思いも寄らぬ少年の態度に、ひかげは戸惑いながらも彼の言葉を促した。 この少年は、本気でひかげに対して申し訳ないと思っている。その言葉には嘘偽りは感じられなかった。 そう感じるからこそ、余計にひかげはこの少年の考えていることがわからなくなる。 果たして、そんなひかげの困惑を知って知らずか、少年は真っ直ぐな視線でひかげを見ながら、言った。 「お姉さんを大事にしてあげてくれないか。今みたいに、何があっても君はお姉さんの味方になってやってくれ。 君のお姉さんを……この人の妹として、君に支えてあげていて欲しいんだ」 「……っ!ま、またそんな風に変なことを言って!そんなこと、あなたに言われなくてもそうしますっ!」 「ありがとう」 「ふんだ!」 そっぽを向くひかげの言葉に、少年は嬉しさと――そして何処か寂しさが入り混じった微笑を浮かべる。 そのまま彼は、籠に入っていた大量の紙袋を取り出して、優しい仕草でそれらをひなたへと手渡した。 「それじゃ、俺はもう退散するよ。だけどあんたも、あまり妹さんに迷惑や心配を掛けないようにしろよ」 「はい、それはもう。ひかげちゃんには苦労は掛けても、心配だけは掛けたくないですものねぇ」 「お姉ちゃんがおかしなアニメのグッズとか買い込んだりしなけりゃ、ここまでの苦労だってしないんだよっ!」 「はは……それじゃあな」 小さく笑いながら、自転車のペダルに足を乗せた少年は、そのまま二人の前から姿を消して行った。 「…お姉ちゃん。結局あの人、一体何だったの?」 「そういえば…名前も聞いていなかったわねぇ。でもあの人ってば凄いのよぅ。 お姉ちゃんのこと、秋葉原からここまで自転車で送ってくれたんだから」 「はぁ!?秋葉原から自転車でぇ!?って言うかお姉ちゃん、また今日も無駄遣いして来たの!?」 「無駄じゃないわよぉ。これはね、お姉ちゃんの生命力、命の源なんですから」 「……もういい。もう何も聞きたくないから、早く帰ってお夕飯にしましょ…」 「今日はあの人のおかげで電車賃が丸々余ったから…ちょっと贅沢なお夕飯が食べられるわよぅ。ステーキとか」 「そんなの無理に決まってるでしょ!第一、ステーキなんてここ何年も食べたこと無いじゃない!?」 「えー。ひかげちゃんのいじわるー。お姉ちゃん、ステーキ食べたいのにー」 「だからお姉ちゃんが無駄遣いしなければ、もうちょっとぐらいはお肉だって食べられるようになるんだよ!」 頭を抱えるひかげと、嬉しそうに紙袋を提げるひなたが、あれこれと騒ぎながら家の中へと帰って行く。 それは、このたった二人の姉妹が送っているいつも通りの日常。 たまには今日みたいに、見ず知らずの人と出会うこともあるが、それは一日限りの擦れ違い。 ひなたとひかげ、その名前通りに正反対の二人が寄り添いながら、ずっと時は流れて行く。 ――その筈なのだけれど。 「はじめまして。新しくこちらのお店で働くことになりました、宮河ひなたですぅ」 「オー、ハジメマシテ。私、同じアルバイトのパトリシア・マーティンデス。パティって呼んで下サイ」 「はぁい、パティさん。こちらのようなコスプレ喫茶のアルバイトは私も経験がありますから、少しはお役に立てると思います」 「それは頼もしいデスねー。そうそう、今日はもう一人、バイト仲間のフレンドが来ますネ」 「まあ。それはちゃんと御挨拶しないとぉ」 「……おーっす。おはようございまーす」 「オゥ!来ましたネ、シン。新人さんよりチコクはみっともないデスよー」 「すまん!ちょっと学校の方でどうしても外せない用事があって……って」 「あら?」 「あーっ、あんたは!?」 「あなたは……この間のぉ」 かくして、シン・アスカと言う名の少年と、宮河ひなたは再び出会うことになる。 偶然に再会したこの二人が今後、どういう関係を築いて行くかは、それはまた別のお話――。 戻る 次
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13 未来のあなたへ2.6 sage 2008/12/05(金) 17 36 03 ID vBiNaN59 こんばんは。雨宮秋菜です。シングルマザーをやっています。 突然ですが聞いてください。しばらく前のことなんですが、ありのままに起こったことを話します。 息子が嫁を連れてきたと思ったら、わたしの娘だった。 何を言っているのかわからないと思いますが、わたしもわかりたくありません。頭がどうにかなりそうでした。 他人の空似とか同姓同名とか、そんなちゃちなものじゃあ断じてありません。完全に兄妹です。 もっと恐ろしいことに、お互いそのことに気付いていないようです。 何のドラマなんでしょう。 娘に会ったのは十年以上ぶりです。息子は、自分に妹がいたことすら覚えていないようです。 わたしも、写真を一枚だけ残しておかなければ、判別は難しかったかもしれません。わたしと娘はあまり似ていませんし。 ともあれ。兄妹で交際なんてとんでもない話です。正気の沙汰じゃありません。 けれど、事故をわざわざ大げさにすることもありません。娘にそのことを教えれば、それとなく別れてくれるでしょう。 というわけで、わたしは娘を呼び出しました。万が一にも漏れないように、夜の公園に車を停めて。 おっと、考え込んでいるうちにもう来たようです。娘が手を振って、助手席に入ってきました。 「こんばんは。わざわざごめんなさいね、藍園さん」 「いえいえ、おかーさんの頼みですから断れませんって」 「えっ!?」 おかあさん……あ、ああ。お義母さん、ね。驚いちゃったわ。 「お義母さん、なんて気が早いわね。婚約したいって義明が言ってたけど、本気なのかしら」 「雨宮先輩は真顔ですごいこと言いますからねー。あ、でも今のはそっちの意味じゃないですよ」 「え?」 「お母さん、ですよね? 改めて、はじめまして」 「!?」 こ、こここの娘……知って!? 「わたしも流石にビビりましたよー。お母さんの部屋を漁ってたら、見知った顔の集合写真が出てきたんですもん。そういえば約一名顔が切り抜いてありましたけど。これなんのドラマかって感じですね」 「な、なんでそんなこと……!」 「だって雨宮先輩がお母さんの話ばっかりするんですもん。ちょっと嫉妬しちゃって嫌がらせでもしようかなって思ったんすよ。思わぬ藪蛇でしたねー」 「な……な……」 「それで今日は何ですか? やっぱりわたし達に別れてほしいってことですか?」 「そ、そうよ。そう、わかってもらえてるなら早いわ。偶然会ってしまったのは不運だったけど、兄妹でなんてとんでもないでしょう?」 「だが断る」 え!? な、なにこの娘。今、どうして、なんて……? 「今さら何言ってんですか。せめて付き合う前に言ってくれってんですよ。もうね、わたしは雨宮先輩がいないと生きていけない心にされちゃったんすよ」 「こ、心?」 「わたしにとって雨宮先輩は、このクソだめの中で拾った宝石みたいなものなんです。今更の他人に明け渡すなんて、とてもとても。とてもとても」 「だ……だって兄妹なのよ!?」 「だから何? ハッキリ言ってそんな繋がり、わたしにはゴミクズほどの価値もないんです。一体どうして、わたしに『家族を大事にする』なんて価値観があると思ってたんです?」 「そ、それは……」 「大体、お母さんはわたしを何も助けてくれなかったじゃないですか。その上、わたしを助けてくれた雨宮先輩を奪おうっていうんですか? あはは」 「ひっ……!」 14 未来のあなたへ2.6 sage 2008/12/05(金) 17 36 59 ID vBiNaN59 娘が笑った、その瞬間。わたしは凄まじい悪寒に襲われた。目が、まるで笑っていない。思わず、怖じ気づきそうになる。 い、いけない。わたしが息子を守らなくてどうするというんだろう。 「い、いい加減にしなさい! 義明にこのこと、教えるわよ!」 「えー、困ったら誰かに言いつけるって、さすがにガキ過ぎやしませんか。でもそれをされると困りますねえ。雨宮先輩も、まだそこまでわたしに惚れてないし」 「でしょう? 今なら許してあげるから、義明と別れ……」 「そんなことしたらわたしも父を呼びますよ」 「!?」 父……父親……この娘の、父親…… と、いうことは、あの人…… ひ ひいいいいいいいいいいいっ! 「いやあっ! いやあああああああ!!」 「おー、すごい反応。本当にトラウマになってるんすねえ。雨宮先輩から常々伺ってますよ」 「ひっ! いっ……!」 「ま、あの父親がクズなのは確かですけどね。どのくらい殴られました? 風呂に入ると古傷が浮かび上がってきますか? あはは」 「ひっ……!」 「でもですね、お母さん。あなただって相当、クズですよね?」 あ。 あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。 「こいつは父から耳がタコになるほど聞かされたネタなんすが、離婚する時がっぽり慰謝料とってたんですよね。おかげでわたしは生まれてこの方アパート暮らしですよ。あはは」 「そ、それは。しかた、仕方なかったのよ……」 「そもそも話の道筋がおかしくありませんか、お母さん。普通生き別れの娘を見つけたら、家族に迎えるってことになりません? こんな呼び出しなんてしてないで、最初から雨宮先輩に話せばいいことです」 「う、そ、それ、は……」 「うん、わかりますよ、わかります。要するに、わたしを引き取るつもりなんて毛ほどもないんすよね? さっきからお母さん、わたしのこと絶対に名前で呼ばないし」 「そ……!」 「それにもう一つ。クズの案件があるんですがお母さん。雨宮先輩に、セクハラしてますね?」 !! 「なんでわかったかって感じっすね。単に、わたしが雨宮先輩にセクハラして股間に触れたら、すっげえビビられたんすよ」 「よ、よしあきに……!?」 「ああ、もうその反応だけで状況証拠ものですね。息子を男として見てるとか、そんなんでよくわたしのこと責められますよね?」 「そ、そんなこと……そんなこと、あるわけ……」 「あ、そうそう。そう言えばこの件で、確認しなきゃいけないことがあったんですが……えへへ」 娘が照れくさそうに微笑んで。次の瞬間、伸びてきた小さな手がわたしの首をがしりと、掴んだ。 ひ……! 「お母さんは、雨宮先輩と、SEXしたんですか?」 「かっ……あっ……」 「雨宮先輩は、まだ童貞なのかって聞いてるんですよこのクズババア!」 「ひっ……! してない、してません……!」 首を掴まれながら、必死で頬を左右に振る。わたしの顔をまじまじと覗きんでいた娘が、ふと表情を綻ばせて手を離した。 「げほっ……げほっ……!」 「ああ、どうやら事実みたいでお互いよかったですね。さすがに雨宮先輩がそんなことで汚されてたら、わたしもちょっと何の保証できませんでしたから。あはは」 「ごほ……あ……悪魔よ……あなたは……」 「えー? わたしが悪魔だったら、友達に大魔王がいますよ。それにわたしなんて、クズとクズが結婚してすごいクズが産まれただけなんです。当たり前じゃないですか」 「……」 「ついでに物心ついたときからクズのスパルタ教育を受けてますしねー。お母さんが何年で、トラウマ負うほど耐えられなくなったかは知りませんが。わたしは物心ついてからの腐れ縁ですもん。クズレベルが違うんですよ」 15 未来のあなたへ2.6 sage 2008/12/05(金) 17 37 43 ID vBiNaN59 歌うように自慢げに、娘が語る。こんな夜中に、こんな車の中になんて、呼び出したわたしの愚かを死ぬほど後悔した。 けれどどうしたら良かったんだろう。この娘は、怪物だ。わたしの手になんか負えない、怪物になってしまっていた……! 「けれど雨宮先輩は違うんです。クズとクズの間に生まれて、クズにセクハラ受けながら育てられて。それでも奇跡みたいに素直に育って、わたしを救ってくれたんです」 「……」 「ねえ、それがどんな偶然か、想像がつきます? それこそ奇跡なんですよ。わたしは、この奇跡に殉じて生きていくんです。お母さんはいい加減、いい歳なんだから子供に依存しないでくださいよね」 「な……なんであなたは……そんな風に、なったの……?」 「雨宮先輩のせいですよ。今まで我慢に我慢を重ねてため込んできたのが、あの人のせいでぷっつーんと切れちゃったんです。ホント罪深い人ですよね。愛しちゃうぐらいです。えへへ」 嬉しそうに娘が笑う。実の兄のことを語るその様子は、まるで、先輩に恋するただの少女のようだった。近親相姦の禁忌なんて、まるで感じさせない。 悟った。 この娘にとって、家族なんてものは真実どうでもいいものなのだ。わたしに対する『お母さん』という呼称にも、特別な感情はなにも込められていない。 わたしや父親個人に対する憎悪ではなく、家族という概念に対する無価値。それは義明にとってもそうなのだ。この娘にとって、兄という概念はゴミに等しい。 家族を知らない怪物。それが今、わたしの前にいる少女の正体だった。 どうしよう、どうすればいいのだろう。このままじゃ息子が奪われる。息子はわたしの生き甲斐なのに。どうしたら。 警察? いや、だめだ。公事にしたら必ず親が出てくる、あの人と関わる。もう二度と、二度と人生を狂わされたくない。いやだ、いやだ。 なら……いっそ……この手で…… 「そんなに父のことは心配しなくてもいいですよ。そのうち消しますから。えへへ」 「……け、す?」 「だって考えてみてくださいよ。あのロクデナシは絶対、わたしが結婚したら相手の家にたかりに行きますよね?」 「ひっ……!」 「そうそう、怖いですよね。そうなれば一発でばれますから、わたしとしても都合が悪いんです。だから籍を入れる前に消しておかないと」 「……」 人を殺すということ、父を殺すということを、楽しげに扱う姿に、再度怖気が走った。 けれど……そうか……あの男が、死ぬのか…… そうすれば、もう夜中に飛び起きることもない。あの男の影に怯えることもない…… 「本当に……殺せるの?」 「あはは、クズ同士らしい会話になってきましたね。父の食事はわたしが作ってるんで、何だって盛りたい放題ですよ」 「……」 「誰にも見られず殺して誰にも見られず埋めれば、ああいう男が消えても誰も探しませんよ。ね、お母さん。そのときは協力してくれますよね?」 「……ええ、わかったわ」 「えへへ。いい約束ができてうれしいですよ。それじゃお母さん、また会いましょうね」 「……」 娘が最後に笑って、車を出ていく。夜の闇に消えた。 それを見送ってから、わたしは緊張の糸が切れてハンドルに突っ伏した。幸いクラクションは鳴らなかった。 なんて……恐ろしい娘。けど……大丈夫だ。まだチャンスはある。 あの娘が自分の父親を殺したら、わたしには恐れるものなんてなくなる。義明に真実を教えてあげればいい。警察に突き出したっていい。 それまでは仕方ない、我慢しよう。わたしの生き甲斐を取られるのは癪だけど、最後に取り戻せばそれでいいもの。 既成事実を作られると面倒だから、婚前交渉はダメと息子にはきつくきつく言っておかないと。 義明……ごめんね、今は我慢してね。あの男さえいなくなれば、ちゃんとお母さんが守ってあげるから。 わたしを見捨てないで……一人にしないでね、義明…… 「心配しなくても大丈夫ですよ、お母さん。ちゃんと夫婦仲良く送ってあげますから、ね? あはは」
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『あなたの隣に誰かいる』(あなたのとなりにだれかいる)は、2003年10月7日 - 12月9日にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。全10回、平均視聴率12.5%。主演は夏川結衣とユースケ・サンタマリア。 あらすじ 松本欧太郎・梓夫婦は、父親の残した家を相続し、郊外の住宅地の一軒家に引っ越す。その住宅街は奇妙な住人や奇妙なルールで溢れていた。更に、奇妙な事が立て続けに起こり、家庭内にも亀裂が走り始めてしまい…。